八木城

八木城

基本情報

築城年 永享3(1432)年頃
築城者 内藤氏
主な城主 内藤ジョアン
概要 丹波守護代の内藤氏が築いた丹波三大城郭の一つとされる山城です。
天文22(1553)年に八上城の波多野氏に攻められ、城主・内藤国貞が戦死。
松永久秀の弟・長頼が入り、国貞の娘との間に産まれたのがキリシタン大名の内藤ジョアン。
この八木城は内藤ジョアンの城として著名です。

天正7(1579)年に明智光秀の前に落城しますが、ジョアンは八木城におらず、小西行長にその後仕えるも慶長19(1614)年に徳川家康のキリシタン追放令でフィリピンのマニラへ追放され、マニラで生涯を閉じたと伝わります。
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廃城年 天正7(1579)年
現状 山林

思い入れの理由

著名な武将・内藤ジョアンの城で、丹波三大城郭というのとで関心が高まりました。

遺構/見どころ

山頂に石垣や、天守台のような遺構や、堀切など見応えがあります。

手軽さ

ハイキング道ではありますが、かなり荒れた山なので登山靴が望ましいです。

安全性

京都丹波地方はクマの生息エリアなので、この城での出没のウワサは聞きませんが、クマ鈴など備えはしておきたいです。
あと夏場は蛇や虫の行動が活発化するので、同じく注意が必要です。

食事処

駅付近に多少店はありましたが、数は近くの園部はじめあまり多くありません。
亀岡か京都市内に戻る方が数が多いです。

トイレ

城にはありません。
駅で済ませた方がいいです。

アクセス

京都府南丹市八木町八木

写真


麓にある内藤ジョアンの記念碑

トンネルを抜けると登山口

登山口

登山道の様子

本丸

本丸からの景色

天守台のような遺構

本丸付近に残る石垣

妙見宮方面の堀切