丹波亀山城
基本情報
築城年 | 天正5(1577)年~天正7(1579)年 |
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築城者 | 明智光秀(織田氏傘下) |
主な城主 | 明智光秀、小早川秀秋、前田玄以など |
概要 | 織田信長の命をうけて光秀が築城。丹波統治の中心となり、1582(天正10)年の「本能寺の変」では、この亀山城から光秀が出撃。幕末まで松平氏などが入り存続。 詳細はMARO参上の該当ページをご参照ください。 MARO参上のページへ |
廃城年 | 明治維新まで存続 |
現状 | 宗教法人大本本部 |
思い入れの理由
「敵は本能寺にあり!」のセリフはこの城を出撃した直後(本当にこのセリフを吐いたか定かではありません)。
ずっと行きたいと思ってましたが、宗教法人の本部ということで敷居が高く感じ躊躇していましたが、思ったより気軽に訪問できたこと。
遺構/見どころ
天守台や街中に残る堀跡など。
手軽さ
天守台は大本の聖地とされるので、大本の受付で「亀山城の見学をさせてください」と依頼すれば快諾頂けます(見学無料)。
亀山城の簡単な資料も頂けます。
お祓いを受け(神社でのご祈祷に近いです)れば特に規定はありませんが、天守台に登ることは聖地のため禁止されています。
安全性
本丸は教団本部、他も市街地化されているので危険な個所はありません。
服装など気軽に訪問できます。
食事処
亀岡市の中心部になりますので多くの飲食店や、商業施設もあります。
トイレ
大本ではお借りしたことがありませんが、恐らく断りを入れれば貸して頂けると思います。
他にも近くには商業施設などもあります。
アクセス
本丸跡
京都府亀岡市荒塚町内丸1
惣構えの土塁残る京町天満宮
京都府亀岡市京町37
写真
亀岡駅から一番近い北側の水堀
城内のも水堀「万祥池」
本丸に入るためにお祓いを受ける「万祥殿」(旧三の丸)
本丸にある天守台(教団によって復元されたとのこと)
下2~3段は明智光秀築城時のものと伝わる
京町天満宮に残る惣構え(町自体を要塞化)の土塁跡