洲本城

洲本城

基本情報

築城年 初代:永正年間(1504~21)から大永年間(1521~28)
現代:寛永7(1630)年から10年以上かけて
築城者 初代:安宅氏
現代:蜂須賀至鎮(よししげ)
主な城主 安宅氏、仙石秀久、脇坂安治、藤堂高虎、池田忠雄(池田輝政三男)、稲田氏(蜂須賀体制下での城代)
概要 戦国期に安宅氏が築城。織田信長が上洛前に実質天下人だった三好長慶が訪城したとも伝わります。
天正9(1581)年、信長の命を受けた羽柴秀吉の淡路攻めで落城。
仙石秀久などを継いで、信長死後には「賤ヶ岳の七本槍」の一人である脇坂安治が統治した時代もあります。

さらに築城の名手として著名な藤堂高虎を経て、阿波の蜂須賀至鎮(よししげ)に淡路一国が加増され、稲田氏が代官として淡路を実質統治すると、寛永7(1630)年に淡路の中心を由良から洲本に移し現在の洲本城が完成しました。

維新後には主家である蜂須賀氏と、家臣である稲田氏が対立。
明治3(1870)年に稲田騒動の舞台となり、その騒動が元で淡路島は徳島県ではなく、兵庫県に編入されたとも言われています。
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廃城年 明治維新まで存続
現状 下の城は洲本市立淡路文化史料館など、上の城はその山頂で整備保存されています。

思い入れの理由

淡路島への憧れと、そのシンボル的な城。

遺構/見どころ

圧倒的な石垣遺構。
山頂の上の城は必見です。

手軽さ

公共交通機関だと京阪神からもアクセスが良くないですが、車があれば山頂まで上がれます。

安全性

山頂の上の城も整備されており、ルートを外れなければ危険な個所はほぼありません。
ただ本丸と二の丸はかなり歩きますので、歩きやすい服装、靴は必要です(特に登山靴は不要です)。

食事処

洲本のバスターミナル近辺は栄えていますので、いろいろ揃います。
また高速道路の淡路サービスエリアにもお土産含め、様々なものが揃っているので便利です。

トイレ

山頂の城跡にもあります。
下の城の資料館の方が清潔ではあります。

アクセス

城跡
上の城
兵庫県洲本市小路谷1272-2

下の城
兵庫県洲本市山手1-1-27

写真


下の城跡に建つ資料館前の石碑と石垣

下の城、上八幡神社に移築された蜂須賀氏の金天閣

上の城大手門跡

上の城本丸石垣

上の城模擬天守

上の城、西の丸の石垣

西の丸に向かう途中から眺める本丸遠景