城用語
- 2017.12.29
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縄張
城は天守閣だけで構成されるわけでなく、通常天守閣が建設される本丸などを指す「曲輪(郭)」や堀等の配置のことです。
縄張図があると、今は住宅地に変わっていても、そこが当時は「〇の丸だった」とか、「このあたりに天守があった」という情報が分かってきます。
いくつかパターンがあり、本丸、二の丸、三の丸などを一直線に配置する「連郭式縄張」。
背後に崖や河川などがあり、敵が攻めにくい場合、本丸を背後に配置しその回りを二の丸、三の丸が囲うパターンを「梯郭式縄張」。
本丸を中心に配置し、その回りを二の丸などが囲うパターンを「輪郭式縄張」と呼びます。
本丸が中心にありながら、その回りを円形に囲うパターンは「円郭式縄張」と呼びます。
連郭式には山の尾根に築いた城によく見られ津久井城(神奈川県)や、飯盛山城(大阪)等があげられます。
梯郭式では岡山城(岡山)や金沢城(石川)等があげられます。
輪郭式では大坂城(大阪)や二条城(京都)等があげられます。
円郭式として代表的なものは田中城(静岡)が著名です。
石垣
城の象徴的な物ですが、実は石垣を持たない城も数多く存在します。
特に関東系の戦国時代の城は「土の城」等と呼ばれ、一部に石垣(石積み)が見られるものもありますが、
一般的にイメージされる石垣の城とは織田信長、豊臣秀吉が本拠にした関西系の城と言えます。
その積み方にも大きく三種類あり「野面積み」「打ち込みはぎ」「切り込みはぎ」があります。
野面積みは石垣初期のころによく見られた積み方で、切り込みはぎは江戸城に見られるような、隙間なくキレイに整った石を積み上げたもの。
打ち込みはその中間の方法と言いますか、角や面をたたいて、なるべく平面に近づけた石を積み上げる方法で、関ヶ原の戦い以降に主流になったとされます。
城によっては複数の時代の石垣を同時に楽しめる場所があり、有名なところでは金沢城(石川県)の石川門では打ち込みと、切り込み両方が用いられた作りとなっています。
堀
一般的にイメージしやすいのは江戸城(東京)、大坂城(大阪)に見られる水堀と呼ばれるものですが、すべて水が入っているわけではありません。
本来、敵の侵入を防ぐことが目的なので水の入っていない空堀も有効な手段。
大坂城や名古屋城(愛知)などの近代城郭と呼ばれる城にも見ることができます。
城を紹介するサイトを見ていると、竪堀、堀切等と呼ばれるものがあります。
両者とも山城に見られる特徴ですが、竪堀は頂上から麓にかけて垂直に彫られたもの。
底が道となり一見登りやすいと思うかもしれませんが、攻め手はそのため横に移動が難しくなり、守り手とすれば堀底に集まった敵兵を、堀の上から矢や鉄砲などで攻撃がしやすくなります。
堀切は山を水平に彫ったもの。
これは麓から山頂を目指す敵兵の動きを一旦止めることになり有効な手法です。
その他よく畝堀、障子堀というものを見かけると思います。
これらは一筋の堀に畝(土を盛り上げたもの)を作り、敵兵が真っすぐに侵入することを防ぐ効果があります。
これを幾重にも巡らせたものとして障子堀があります。
静岡の山中城には両者がよく残されています。
戦国時代に関東を統治していた北条氏(後北条氏)系の城によく見られる特徴です。
虎口
出入口のことです。
城は本来戦闘施設です。そのため「家」のように出入りが行いやすいことは良くありません。
敵がなるべく侵入できないように複雑に組まれています。
よく出てくる用語として「横矢」「食い違い虎口」「桝形虎口」がありますのでこの3つについて簡単に説明します。
「横矢」は文字通り、敵兵は正面の門を突破しようとするのですが、その際、守備兵は横から矢を射かけることができる構造になっていることです。
「食い違い」はその発展系と言えるでしょう。
攻め手は正面に門がなく、横手にあるため、自動的に正面の壁は「横矢」に変わります。
そして中に入っても、さらに体制を入れ変える必要があるので、せっかく突破した門の前に現れる壁がまたしても「横矢」に変わります。
そして最後は「桝形」。
横矢がかかった道を敵兵は突破していく必要があり、運よく正面の門を突破したとすれば、そこは袋小路のような状態になり、四方八方の壁が横矢に変わるという守備側にとってはこれ以上ない虎口になります。
近代城郭には多くこの桝形が用いられ、また今も観光名所になっている城でも多く残されていますので、見学の際にただ天守閣への通行路だと思わずに観察していくと、より城巡りが楽しくなってくると思います。