真田出丸城

真田出丸城

基本情報

築城年 慶長19(1614)年
築城者 真田信繁(豊臣氏傘下)
主な城主 真田信繁
概要 大坂冬の陣において豊臣氏についた真田信繁こと、幸村が弱点とされた大坂城南側の備えとして築城。井伊直孝らの軍勢を撃ち破る大手柄を立てました。
しかし冬の陣後、徳川方に有利な講和を結んだ豊臣上層部の判断により廃城。
続く夏の陣では外に撃ってでた真田幸村は戦死。
豊臣秀頼、淀殿も大坂城で自害し豊臣氏は滅亡しました。
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廃城年 慶長20(1615)年
現状 三光神社、心眼寺など

思い入れの理由

元々真田幸村のファンでしたが、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」を見てさらに気持ち熱くなった場所です。

遺構/見どころ

三光神社の幸村像に、抜け穴。あと真田山公園周辺を歩くと街に巨大な大坂城に名残を感じます。

手軽さ

大阪の下町玉造一帯、交通アクセスも抜群です。

安全性

市街地のため危険な個所はありません。

食事処

玉造駅前に商店街や飲食店が並んでいます。

トイレ

地下鉄玉造駅のトイレは改札外で、洋式の個室もキレイなのでおススメです。

アクセス

幸村像のある三光神社
大阪市天王寺区玉造本町14-90

幸村の墓や、真田出丸城の石碑がある心眼寺
大阪市天王寺区餌差町2-22

写真


三光神社の幸村像と奥に見える抜け穴跡

心眼寺にある石碑

心眼寺境内にある幸村の墓

北側の大阪女学院、大阪美容専門学校さん側から見るとかなり高低差がわることが分かります。